この帯のようになる

エレ13:10「わたしのことばを聞こうともせず、自分たちのかたくなな心のままに歩み、ほかの神々に従って、それに仕え、それを拝むこの悪い民は、何の役にも立たないこの帯のようになる」
帯が腐ることは、今まで結び付けていたものが離れてしまうことを意味します。新約ではお互いに結びつくためには「愛」は完全なものとされており(コロ3:14)、また別の箇所では帯を「真理」だと位置づけています(エペ6:14)。帯は外出用に欠かせないもので、帯を締めて、くつを履き、上着を着るのが出かけるときのパターンです(使12:8など)。エレミヤは買ったばかりの真新しい帯をユーフラテスの川の岩の割れ目に隠しました(4)。そのとき「水に浸してはならない(1)」という条件があり、帯が腐るまで「多くの日(6)」が必要でした。それはユダの民が悔い改めるように時間の猶予を与えられたことの比喩で、その後腐ってしまった帯はユダに時間切れが来てしまったことを示しています。それでも神の哀れみは深く、彼らの捕囚時間は70年とされ(29:10)、エジプトの奴隷時代の430年に比べればはるかに短いものでした。出エジプトから荒野で過ごした時間が40年で1世代が死に絶えるまでだとするならば、70年は2世代が入れ替わり3代目の子孫たちが神殿を新しくし、新たに主に対する礼拝を捧げるようになる時間でした。