いのちの道と死の道

エレ21:9「この町にとどまる者は、剣とききんと疫病によって死ぬが、出て、あなたがたを囲んでいるカルデヤ人にくだる者は、生きて、そのいのちは彼の分捕り物となる」
とどまれば剣とききんと疫病で死に、バビロンに行けば捕囚となり、どちらもユダヤ人には嫌な選択肢しか残っていません。とくにゼデキヤ王については厳しい仕打ちが待っており、「ゼデキヤの子たちをその目の前で虐殺し、またユダのおもだった人たちもみな虐殺しゼデキヤの目をつぶし、彼を青銅の足かせにつないで、バビロンに連れて行った(39:6-7)」と聖書にあります。主は「あなたがたの前に、いのちの道と死の道を置く(8)」と言われましたが、いのちの道を選択したとしても、屈辱的な奴隷のような生活が待っており、あたかもエジプトに舞い戻ったかのようです。それでも優秀なユダヤ人たちはバビロンのあとのペルシャの統治の中でも、その能力を発揮し、エステルやダニエルなどの有名な王妃や預言者がいたことが聖書に残っています。また捕囚が終わる70年にはエズラ、ネヘミヤというリーダーが立てられ神殿再建に尽力しています。どこの社会でもユダヤ人は賢く、うまく経済をコントロールし、現在のアメリカでもアメリカの総資産の60%はユダヤ人が持っているといわれています。神の選ばれた民はどこにいても神の目が離れることはないのです。