生きよ

エレ27:12「ユダの王ゼデキヤにも、私はこのことばのとおりに語って言った。「あなたがたはバビロンの王のくびきに首を差し出し、彼とその民に仕えて生きよ」」
「生きよ」はヘブル語で「chayah(ハヤ)」で、生きながらえるように主が命令されたものです。それはバビロンの捕囚となれば、ユダの地に残って主によって剣とききんと疫病によって死なずにすむことを示しています(8)。バビロン王ネブカデネザルは主のしもべと呼ばれ(6)、主が選ばれたユダヤ人の支配者となり、しばらくの間この王のもとでユダヤ人たちは従わなければなりません。主のみ心はユダヤ人が死に絶えないで、生き延びてもう一度主に仕える決心をすることです。人生の中で何が優先するかは時と場合によりますが、死を選択することだけは避けるべきだと思います。たとえ捕らえ、獄中にあろうとも希望を捨てず主を賛美する信仰があれば主に喜ばれるでしょう(使16:25)。エレミヤを通して滅びと捕囚の二者択一を迫られたユダヤ人は「奴隷は嫌だ、ここで死のう」という選択もできたはずです。しかし、その選択でさえ主から与えられ、ユダの民は生き延びるように命じられました。主の大きな計画の中では人の小さな判断力は無力にされてしまうことがあります。今はわからなくても、主にはかならず計画があるのです(29:11)。