エルサレムが攻撃された時

エレ34:1「バビロンの王ネブカデレザルと、その全軍勢、および彼の支配下にある地のすべての王国とすべての国々の民が、エルサレムとそのすべての町々を攻めていたとき、主からエレミヤにあったみことばは、こうである」
よりによって、この忙しいときに…とユダヤ人たちは思ったかもしれません。いままさにバビロンが攻め込みエルサレムが陥落するかもしれないときに神のことばがエレミヤに臨んだのです。14節にある「七年の終わりには、各自、自分のところに売られて来た同胞のヘブル人を去らせなければならない」は申命記にある律法の一部です(申15:12)。そして、この契約は神とユダの首長たち、エルサレムの首長たち、宦官と祭司と一般の全民衆との間に結ばれたもので、二つに分けた子牛の間を通ることで交わしたいのちの契約でした(19)。「心を翻して(16)」とあるように、一度は解放された奴隷を再び集めて彼らの自由を奪ったのです。従った後に約束を反故にすることは、主の最も嫌がることのようで、ユダの国民には容赦なくバビロンの攻撃が続きました。それは契約者である主の名前を汚したのと同じことになるからです。そういう意味では主との会話は慎重にしなければなりません。何かを約束するときはいのちをかける覚悟で臨まなければ、契約した主の名前を傷つけることになってしまいます。