天の女王にいけにえを

エレ44:19「私たち女が、天の女王にいけにえをささげ、それに注ぎのぶどう酒を注ぐとき、女王にかたどった供えのパン菓子を作り、注ぎのぶどう酒を注いだのは、私たちの夫と相談せずにしたことでしょうか」
天の女王に関しては、まだエジプトに移る前のユダにいるころからすでに指摘がありました(7:18)。したがって、この天の女王はエジプトの女神ではなく、広くイスラエル近隣の国々が信仰していた神のようです。エジプトに移っても彼らの異教の神への信仰は変わらず、主がエレミヤを通してこれほど忠告しているにもかかわらず、「馬の耳に念仏」状態です。当時メソポタミヤ地方において多産をつかさどる女神の存在が記録として残されています。多産は豊作をも意味し、放牧中心だったヘブライ民族が約束の地で農耕の生活中心にならざるを得なかったことが他の神に走った理由だと思われます。ただ主に信頼することが主の願いだったはずです。そうすれば主がユダヤ人を守り、必ず繁栄へと導いてくださるはずです。なぜ主だけに信頼し、主だけを唯一の神だと認めることができないのでしょうか?聖書の神は偶像を嫌い、神を形どることを非常に嫌がりました。それに対し、他の宗教は人の目に見える偶像が信仰の中心となっていました。人は目に見えるものにどうしても頼りがちです。それは人を造った神ご自身がご存知のはずです。それでも信仰によって歩みなさい…と言われるのはイエス様も同じでした。