エジプトに逃げても

エレ43:12「彼はエジプトの神々の宮に火をつけて、それらを焼き、彼らをとりこにする。彼は牧者が自分の着物のしらみをつぶすようにエジプトの国をつぶして、ここから無事に去って行こう」
強大な力を持ったエジプトもバビロニアの力にはかないませんでした。エレミヤたちが逃げたタフパヌヘスにはパロの宮殿があり、エジプトの中心部だったことがわかります(9)。その宮殿もバビロニアに占領されるは時間の問題です。エレミヤの預言によるなら「火をつけられ」「エジプト人を虜にする」とあります。またそこに逃げ込んだユダヤ人たちも同じように虜になるか、剣で滅ぼされるのです(11)。アザルヤやヨハナン、その他高ぶった者たちが選んだ第3の道は閉ざされてしまったのです。もともと主がエレミヤを通して語られていた道は2つです。ユダに残り剣で殺されるか、疫病とききんで死ぬという第1の道とバビロン捕囚になり、バビロンの地で生きながらえるという第2の道だけでした。「死」と「捕囚」という選択の中で主が命じていたのは捕囚として「生きる」というものでした(27:12)。主が命じたどちらの道も嫌がり、自分たちが良いと思う道を探し出し、自分たちのやりたいようにしても無駄でした。人生でどちらに転んでも結果が悪いという状況に出会うこともあるでしょう。主が導いてくださるという信仰があるなら、たとえ捕らわれの身でも希望は消えることはないのです。