ちりから引き上げられても

1王15:27「それでイッサカルの家のアヒヤの子バシャは、彼に謀反を企てた。バシャはペリシテ人のギベトンで彼を打った。ナダブと全イスラエルはギベトンを攻め囲んでいた」
「それで」という接続詞はあたかもバシャがナダブが主の道から離れたことを憎み、ナダブが王であることに反対しナダブを暗殺したように見えます。確かにバシャは主から「あなたをちりから引き上げ、わたしの民イスラエルの君主とした(16:2)」と言われ、王になれたのは主の導きがあったことがわかります。果たしてバシャは王になり主の道を歩んだのでしょうか?彼の治世24年(33)は歴代の中でも2番目の長さですが(1位はエフーで28年、2王10:36)、その歩みはヤロブアムの道だったと指摘されています(16:2)。列王の歴史は目まぐるしく変わり、イスラエルの王だけでも20人の王が交代しています。その20名すべての王が主の道に帰ることがなく、ユダ国のようにヒゼキヤ、ヨシヤという善王は1人もいませんでした。国が分裂してから1度として高きところの祭壇は取り外されず、その歴史は異邦の神を拝み続けるという不名誉なものとなりました。イスラエルが50年たってオムリがサマリヤを首都に制定しています(15:24)。イエス様の時代にサマリヤ人として登場する人たちは、実はユダの国の生き残りで正当な神の民だったのです。