わたしがこれを告げる

エゼ5:15「わたしが怒りと憤りと譴責とをもって、あなたにさばきを下すとき、あなたは回りの諸国の民のそしりとなり、ののしりとなり、戒め、恐れとなる。主であるわたしがこれを告げる」
愛の神が一度怒るなら、その罪に対する憎しみは半端ではありません。日ごろ、あんなに優しかったのに…という人が豹変することがあります。神も愛を示して、忍耐を重ね、へりくだり最大限人間側に譲歩した結果がさばきです。神の忍耐は人のそれとは比べ物にならないほどで、どんなに赦しがたい罪であっても、一度でも心が砕かれ主の前で悔い改める者には救いの手を差し伸べられます。あたかも無抵抗で、何も干渉してこない神をあなどることは簡単です。しかし、沈黙の中にこそ主の真実のことばがあり、主の語られることばに耳を傾ける必要があります。それはじっと黙って待つようなものではなく、神の語られたことばに耳を傾けるという意味です。主はすでに語られました。もちろん 、今も語り続けておられるでしょう。人が主と会話するときに大切なことは超自然的に聖霊が何か言ってくれる、とは思わないで、聖書に答えを見つける努力だと思います。「聖霊様がおっしゃった」と聖書の記述を乗り越えて、自由に語り始めるなら何でもありの世界になってしまいます。あくまでも聖書、みことばが信じる者の頼るべきものではないでしょうか。