後悔先に立たず

エゼ6:7「刺し殺された者があなたがたのうちに横たわるとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう」
後悔先に立たず…とは有名な日本のことわざですが、多くの同胞が殺されたのを見て初めて主がすべてを支配していることを知るのは悲しすぎます。「知る」はヘブル語で「yadah(ヤダ)」でアダムとエバ失楽園の後に関係を持ったときに使われている、日本語の「知る」よりももっと意味の深いものです。ユダヤ人たちは街が廃墟になり、自分たちが今まで拝んできた偶像が壊され(6)、多くの人が死ぬのを見なければ主がまことの神だと悟れなかったのです。さばきが始まらなければ神の存在など思い起こせないのが人間なのだろうと思います。そう造られているからです。信じられない人を笑ったり、軽んじたりできません。自分も罪の中に生きた者であり、神の福音に触れるまでは彼らと同じ生活を送っていた のです。誰も誇ることのないように、主の知恵は働いています。ノアの洪水は伝説となり、現代では単なる神話だと考える人も多いようです。しかし、過去にさばきを行なわない神は未来でもさばきは行ないません。聖書に書かれた1つ1つの出来事を真摯に受け止め、過去も未来もすべて神のご計画どおりに進んでいると信じる人は幸いだと思います。