少しばかりのパンのために

エゼ13:19「あなたがたは、ひとつかみの大麦のため、少しばかりのパンのために、まやかしに聞き従うわたしの民にまやかしを行ない、死んではならない者たちを死なせ、生きてはならない者たちを生かして、わたしの民のうちでわたしを汚した」
人を惑わして困らせるぐらいならかわいいものですが、それが生死に関わるとなると大問題です。しかもその報酬はわずかの大麦やパンだとするなら、死んでいった人たちは死んでも死にきれなかったでしょう。「パン」のヘブル語「lekhem(レヘム)」は古くは創世記に登場し、アダムに言われた「あなたは、顔に汗を流して糧を得(創3:19)」の「糧」は同じヘブル語です。つまり、ほんのわずかな生きるための糧を得るために嘘を預言し、まやかしを行い、本来死ぬべきでない人々を殺してしまったのです。あまりにも安っぽく、主を軽んじた考え方には怒りを覚えますが、これは決してエゼキエルの時代の話ではなく、現代も同じことが言えます。あまりにも恵み、祝福だけに目を留めるなら、主を信じることがご利益的になってしまいます。自分の状態が良かろうが、悪かろうが主を礼拝することには変わりはないはずです。すべては自分の願いではなく主のみこころのままに…と思える人は幸いだと思います。