さばきのとき

エゼ21:31「わたしはあなたの上にわたしの憤りを注ぎ、激しい怒りの火を吹きつけ、滅ぼすことに巧みな残忍な者たちの手に、あなたを渡す」
ヨハネは神は愛だと唱えましたが(1ヨハ4:16)、一方でさばきをおこなう神も見逃すことができません。何でも愛されているから許してくれる…というのは人間側の勝手な幻想に過ぎません。事実、ノアの時代に洪水はありましたし(創6-9章)、ソドムとゴモラが滅ぼされたのも(創19章)神話ではありません。ユダとイスラエルの滅亡も歴史的事実なら、神はさばきをためらうお方ではないことがわかります。それゆえ神をおそれ、神の教えに従うのは賢明な選択と言えます。それでもヨブのように天でサタンに自慢するほどの正しい人であっても試しのときはあります。ユダヤ人たちには預言者が与えられ、彼らを通して注意や警告を受けていたはずです。ただ、嘘をついたとか他人のものを盗んでしまった、というレベ ルではありません。彼らがさばきを受けた最も大きな原因は、他の神を拝み続けたことです。主はユダヤ人を滅ぼすことを望んでおられるわけではありません。逆に言うならユダヤ人は通るべき道を通されているとも言えます。多く赦された者が多く愛するようになるように(ルカ7:47)、振り幅の大きいほど戻ってきたときの喜びも大きいのだと思います。