再び集められるという預言

エゼ20:34「わたしは、力強い手と伸ばした腕、注ぎ出る憤りをもって、あなたがたを国々の民の中から連れ出し、その散らされている国々からあなたがたを集める」
ユダヤ人がもう一度集められるという預言はイザヤも(イザ11:12)、エレミヤも(エレ29:14)語っているもので、3大預言者が各自主から示されて同じように語られていることは、確実な上にさらにダメ押しをしているような状態です。もちろん聖書のことばを疑うわけではありませんが、これだけ重なって預言されるならよほど主にとって重要な内容だと思わざるを得ません。さらにパウロは自分自身のユダヤ人の立場を「福音によれば、あなたがたのゆえに神に敵対している者ですが、選びによれば、父祖たちのゆえに、愛されている者なのです(ロマ11:28)」と言い、さらに「神の賜物と召命とは変わることがありません(ロマ11:29)」と続け、たとえ散らされたとしても最初に神が選んだ以上、その責任は神ご自身にあり、主の愛が途中で変わってしまったりすることがないことを語っています。イスラエルの再建国以来、エルサレムを中心に争いが絶えず、必ずしもユダヤ人が安息を得たようには見えませんが、それは私たちの目に映る現実と主の計画のギャップを目の当たりにしているだけです。福音が世界に広がり、異邦人の隅々まで行き渡ったときにユダヤ人の役割は終わります。次には彼らの救いが待っているのです。