10月10日に

エゼ24:13「あなたのみだらな汚れを見て、わたしはあなたをきよめようとしたが、あなたはきよくなろうともしなかった。それでわたしがあなたに対するわたしの憤りを静めるまで、あなたは決してきよめられない」
ネブカデネザルがいよいよエルサレムに全軍を送り込み包囲したのが10月10日です(2王25:1)。主はその当日になってエゼキエルにその日に起きることを告げています(1)。前もって教えてくれれば…と思ってしまいますが、ゼデキヤ治世9年目の10月10日までに主はあらゆる警告をイザヤ、エレミヤ、エゼキエルを通して語り続けたのです。主のときが来るときはこのようなものなのかも知れません。新約では終わりの日に主は盗人のように来ると書かれ(2ペテ3:20、黙3:3など)、ある人々にとっては突然起きる寝耳に水のような状態なのがわかります。しかし、バビロンのときも、ノアの洪水のときにも必ず予兆がありました。エゼキエルなどの預言者がそうですし、ノアの時代にはノアの家族そのものが大き なしるしとして働いたのです。現代では聖書のみことばが主が日が来ることを明言しています。イエス様によればのあの洪水の日まで人々は飲んだり、食べたり、めとったり、嫁いだりしていました(マタ24:38)。神は来ないと自己中心的な生活を続ける人に、神の憐れみは残っていないのです。