干からびた骨

エゼ37:2「主は私にその上をあちらこちらと行き巡らせた。なんと、その谷間には非常に多くの骨があり、ひどく干からびていた」
エゼキエル37章ほど奇妙で想像力を掻き立てる預言はありません。多くの憶測や解釈が述べられ、その数は今や数えられないほどになっています。なによりも「骨」の正体はイスラエルの全家だと書かれていることから(11)、イスラエル復興やもっと進んで終末のことを預言しているとも言われています。本来なら人が死んだら、「ちり」に戻るように主は設計されていました(創3:19)。骨の状態は人が死んでもちりに戻ることなく、あたかももう1度何かの目的があるように待機しているような状態ではないでしょうか。主の霊によってエゼキエルが導かれたところは、主が用意した特別な谷間で骨が置かれている場所でした。そこで彼が見たものは、たとえ骨、筋、肉、皮膚と整えられたとしても(8)、「息」がなけれ ば生き返ることができないというものでした。息は「ruwach(ルアーク)」で、神の霊を指します。人が肉をつけてただ生きているのは、干からびた骨と変わりない…とも取れます。人の皮をかぶった獣…などというたとえもあるように、神の霊がとどまる人になれればと思います。