これが至聖所だ

エゼ41:4「彼はまた、本堂に面して長さ二十キュビト、幅二十キュビトを測って、私に「これが至聖所だ」と言った」
捕囚後70年たったときのゼルバベル神殿のときもそうですが、契約の箱についての記述が一切ありません。「これが至聖所だ」とどんなに言われたところで、契約の箱がなければ意味を成しません。なぜなら大祭司が年に一度至聖所に入り、主と語り合うとき、契約の箱の上にあるケルビムのつばさの間から語りかけ、大祭司が直接主の栄光を見ることができないようにされていたからです(出25:22)。旧約最後の契約の箱に関する記述はヨシヤ王のときで「聖なる箱を、イスラエルの王ダビデの子ソロモンが建てた宮に据えなさい(2歴35:3)」と書かれているものです。ヨシヤ王が律法を見つけ(2歴34:14)、宗教改革を行い、律法に従って礼拝しようとしたときの話です。これ以降エズラ、ネヘミヤの書簡にも契約の箱は登場せず、次に契約の箱を目撃するのはヨハネで天にある神殿の中でした(黙11:9)。とするならば、契約の箱が天の神殿に置かれるまでのどこかの時代にエゼキエル神殿に移されるのでしょうか?あるいは天にある契約の箱をエゼキエル神殿に運んでくるのでしょうか?いつエゼキエル神殿が建てられるかが鍵です。