聖所では礼服を

エゼ42:14「祭司たちは聖所に入ったなら、そこから外庭に出てはならない。彼らが奉仕に用いる服は神聖だから、それを脱いで他の服に着替えてから民の所に近づかなければならない」
この節を読むとイエス様の語られた婚礼に礼服を着てこなかった者のたとえ話を思い出します(マタ22:1-14)。エゼキエルでは聖所に一度入ったなら、聖められた服のまま外に出てはいけない、と書かれています。一方、イエス様の言われた婚礼の礼服は「救い」を象徴しており、婚礼に招かれるのは「救い」を着ている人だけです。聖所に入るにも、天の婚礼に参加するにも聖められていなければなりません。そして、服を脱ぐならば聖所にも婚礼の宴会場にもいることはできないのです。神に近づくには明確な線引きがされています。それは「聖め」であり、聖くないものが神の前立つことはできません。神殿の洗盤や祭壇も、罪を購うためのものであり、それらを通らずして聖所に入ることはで きず、ましてや至聖所になど近づくことさえ許されていません。神殿を学ぶことで、罪を聖め購うことがどれだけ重要なことかを知ることができ、この知識がイエス様の十字架の意味を確かなものにするのです。神殿の細部のサイズなど読んでいてつまらないと思うかも知れませんが、神殿の仕組みがあってこそ十字架の購いが完成したのだと思います。