人生の最後

1歴10:4「サウルは道具持ちに言った。「お前の県を抜いて、それで私を刺し殺してくれ。あの割礼を受けていない者どもがやってきて、私をなぶり者にするといけないから」しかし道具持ちは非常に恐れて
とてもその気になれなかった。そこでサウルは剣を取り、その上にうつ伏せに倒れた」
捕まってじわじわ殺されるより、一気に殺されたほうが良いと思うのは誰しも同じです。誰もが自分が死ぬことを知っており、自分の死に際があっさりと短時間で有りたいと願うものです。びょうきやふかいきずによって痛みと苦しむ時間が長いのは嫌なものです。サウルもそう考え自分の道具持ちに殺して欲しいと願いましたが、道具持ちはそのことをしませんでした。そこでサウルが選んだのが「自殺」です。神が決めた時間や死に方に従うことなく、最後まで自分勝手で自分の思うがままに死んでいきました。自分の命を絶つことはサタンの最も喜ぶことで、日本や肝石はサタンの各校の餌食です。(2014統計、韓国3位、日本7位)たとえ死に方が悲惨であっても、自分の生まれてくる日をコントロールできないように、死ぬ日も自分で決めることはできません。苦しくても最後まで主に従うしかないのです。ある人は眠るように死んでいくでしょうし、ある人は殉教することもあるでしょう。人生が苦しい境遇にあっても、その人が不信仰とは限りません。むしろ進行のある人には乗り越える壁も高いのでしょう。問題はどんな環境にあっても、主とともにいて平安があるということです。