神の御手が臨み

2歴30:12「また、ユダには、神の御手が臨み、人々は心を一つにして、主のことばのとおりに王とそのつかさたちの命令を行なった」
「御手」はヘブル語で「yad(ヤッド)」で、直訳すると、「神の手がユダにあった」という感じになります。神の業ですばらしいものは「人の心」を何かに向けさせることではないでしょうか?もちろん、アダムとエバのとき以来、選択肢を選ぶ権利は常に人間にあります。主が強引に人の心に介入することはしません。しかし、何かのきっかけで人の心がある方向に向けされることはなさいます。ここでも主の御手が臨まれました。その結果として人々は心を一つにして…とあります。たしか、主は人が心を一つにすることを嫌っていたはずです。バベルの塔のときに人々のことばを混乱させたのは神です(創11:1-7)。それは人の心が一度に悪に傾くことを防いだ神の知恵だったのかもしれません。それでも、主の働き をするときに「心の一致」は不可欠です。思いが一致するなら大きな力となって働くことは主ご自身がご存知です。ヒゼキヤの宗教改革ユダ王国の歴史の中でも、最も特筆すべきもので、ヒゼキヤとヨシヤ王は歴代の王の中で善王とされています。それも主が見ておられ、助けておられるから成し遂げられたものを忘れてはならないと思います。