多く要求される

ルカ12:48「しかし、知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます」
ギリシャ語「genosko(ゲノスコ)」は、「知る」という意味のほかに「習い知る」とか「知ろうとする」という意味もあるので「知らず」というのは、「知ろうとしなかった」という意味も含まれています。それでも、すべては主のご計画の中にあり、ある人には多くのものが与えられ、多くのことを任されます。ここでイエス様の言われていることは何か不公平な感じにも受け取れますが、すべての人が同じようではないことを強調しているようにも思えます。神の愛を示されたイエス様ですが、ペテロの「私たちのために話してくださるのですか(41)」に対して驚きの答えをされています。イエス様が来られたのは平和のためでなく、むしろ分裂だと言うのです(51)。もともと愛があふれる家族に福音は必要ないでしょう。愛が壊れ、不安定になり神を必要としなければ、福音の意味は薄れます。離婚の数は増加の一途をたどり、親が死んだら遺産をめぐって子供たちは憎み合っています。どんな国でも民族でも福音は必要です。福音のために大きな仕事を任されるのは誉れでもありますが、主からの要求も大きいのです。