それでもだめなら

ルカ13:18「番人は答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから』」
これはガリラヤ人の捧げたいけにえにピラトがガリラヤ人の血を混ぜ、彼らのいけにえを台無しにしたことから話は始まっています(1)。何か悪いことが起きると、それは神が罰したからだと考える人は今も昔も同じで、多くの人は血を混ぜられたガリラヤ人には何か罪があって、いけにえを汚されたのだと考えていたようです。しかし、イエス様は何か不幸が襲ったとしても、その人が格別罪深いわけではない…と言われています(2)。その直後にぶどう園にいちじくを植えた人のたとえを話されています。このたとえは、ガリラヤ人のいけにえの話やシロアムの塔で被害にあった事件(4)とリンクしているのです。イエス様の話したいメインテーマは「悔い改め」です。実がならないからいちじくを切り倒すのではな く、手を尽くし実をならせる努力をしようとしたのがぶどう園の番人です。番人には実をならせる権威も力もありません。ただ木の周りを掘って肥料をやることが彼の最大限できることでした。結果は誰にもわかりません。ただ、悔い改める前に罪があるからといって滅ぼすのは神の御心ではないことは確かです。