神のあり方を捨てられないとは考えず

ピリ2:8「自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました」
「卑しい」はちょっときつい言葉ですが、新共同訳では「へりくだって」、口語訳では「おのれを低くし」となっています。原語ギリシャ語「tapeinoo(タパイナオ)」は、「低くする」という意味があり、イエス様が言われた「自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます(マタ23:12)」や、子供を引き寄せて「この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です(マタ18:4)」のときに使われています。いくら低くするといっても、神から人にならなくても…と思ってしまいますが、イエス様は「神のあり方を捨てられないとは考えず(6)」、ご自分を「無」にされたとあります(7)。イエス様は枕するところもなく(マタ8:20)、自分のできる限り病人を癒され(マタ19:2、ルカ4:40など)、体は休まることはなかったと思います。もし天の父の御元にいるなら天使に囲まれ、賛美され、その栄光を輝かせるお方だったはずです。しかし肉体という朽ちる器に産まれ、誘惑され、疲れを知り、死をも経験されました。「それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました(9)」