教会は信仰によって

コロ2:12「あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです」
コロサイの手紙を書いた段階でパウロはまだラオデキヤにもコロサイにも行ったことがありませんでした(1)。直接教えることができないことはパウロにとってストレスだったのか徹底的に福音の基本が書かれています(3)。それはあやまった教えや議論が横行し、あやまちに導く可能性があったからです(4)。キリストを信じることはキリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰による…と書かれています。キリストは地上に来られ、十字架につけられ死んで、3日目によみがえられた…これが福音書に書かれているイエス様の生涯の物語です。これ以外の教えを教えるものはすべて異端になります。コロサイでは「だましごとの哲学(8)」が教えられていたようです。一説ではグノーシス哲学だ と言われていますが、目に見えるものに頼ろうとするのは、人として仕方のないことかも知れません。パウロやテモテがその場にいればすぐにでも正すことができたのかもしれませんが、初代教会の時代でもこのようにちょっと離れただけですぐに道を踏み外すことがあることがわかります。