塩味のきいた

コロサイ4:6「あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります」
エス様が塩について語ったことはは共観福音書すべてに書かれています(マコ9:50、ルカ14:34)。「もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう(マタ5:13)」はあまりにも有名ですが、パウロも同じように塩について語っています。塩はギリシャ語で「haras(ハラス)」が使われ、ラテン語では「サラリウム」となり、英語の「salary(サラリー)」の語源になりました。当時は兵士の給料が塩で払われるほど高価なもので、現代に生きる我々には塩の大切さなど少しも理解できませんが、聖書の時代の人々には何を語ろうとしているのかがわかったはずです。つまり貧しい世帯では塩気は肉などに含まれている自然のものから取るだけで、それ以上の味を望むなら「塩」がなければならなかったのです。同じ話すことばでも意味のない相手の心に響かないものよりは、価値ある高価な塩を足 した、うまみのあることばを話しなさいとパウロは教えています。テモテの手紙の中には「俗悪」なむだ話を避けるように何度も注意しています(1テモ4:7、1テモ6:20、2テモ2:16)。塩がむだにならないように気をつけたいものです。