テサロニケの苦難

1テサ3:3「このような苦難の中にあっても、動揺する者がひとりもないようにするためでした。あなたがた自身が知っているとおり、私たちはこのような苦難に会うように定められているのです」
「苦難」(口語訳では「艱難」)は、ギリシャ語で「thlipsesin(スリプセシン)」が使われ、「圧力」や「執拗」という意味があります。どういう内容かは書かれていませんが、パウロやテモテが前もって予見することができるほどのことだったと思われます(4)。テサロニケに住んでいれば必ずおきるべきこと…とでも解釈すれば良いでしょうか?テサロニケのユダヤ人がかたくなで、パウロの伝道にも応じなかったことは使徒の中にも書かれています(使17:1-6)。それどころかならず者を使って暴動まで起こしています(使17:5)。そのとき訴えられた内容「イエスという別の王がいると言って、カイザルの詔勅にそむく行ないをしているのです(使17:7)」…がテサロニケの苦難を解くヒントだと思います。つまりクリスチャンになることによって、カイザル体制が崩壊することを恐れているのです。このままでいい…というのは保守派の常套句ですが、特にユダヤ人は歴史的に見てもエジプトやペルシャで王に次ぐ地位が与えられ、ほかの民族にとって嫌な存在だったのかもしれません。