主とともに生きるため

1テサ5:10「主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです」
ルカの中でエマオに行く途中の弟子2人がイエス様と出会う話があります(ルカ24:15-32)。彼らはイエス様とは知らずにずっと話し歩いていましたが、食卓に着きパンを裂き渡された瞬間に見えなくなったとあります(ルカ24:30-31)。彼らは「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか(ルカ24:32)」と言い、見えなくなった今も主は共にいてくださることを確信するのです。また、トマスはほかの弟子がイエス様に出会ったといっても信じず、八日後にイエス様に出会ったときに指と手をイエス様の刺し傷に入れるように言われました(ヨハ20:27)。サマリヤの女もしかり(ヨハ4章)、ザアカイもしかり(ルカ9章)、ほかにもたくさんの事例があります。それはイエス様が一人一人を見ていてくださり、すべての人生を知っておられるということです。たとえ天に昇り、見えなくなったとしてもイエス様はすべてをご存知です。それはイエス様が死ぬことによって、死から開放されたクリスチャンが主 とともに生きるためなのです。