背教と滅びの子

2テサ2:3「だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです」
背教はギリシャ語で「apostasia(アポスタシア)」で英語の「apostasy」の語源になったことばです。「背く」という意味があり、福音の正当な教えから外れる教えです。パウロの手紙の書き方では今にでも主の日が来て、とんでもない時代が訪れるような錯覚をテサロニケの人たちに与えかねません。事実、この章の最初には落ち着き、心を騒がせないように、と書かれています(2)。パウロが与えられている終末の知識は、はるか未来のもので、確かにイエス様はまだ来られていませんし、滅びの子のような存在も誰だかわかりません。世界には名だたる独裁者が登場し、多くの民衆を虐殺しました。中国の毛沢東は5000万人以上を殺したとされていますが、それでもキリストは来ませんでした。黙示録では人類の3分の1を 殺すために4人の御使いが放たれますが(黙9:15)、「滅びの子」は自分こそ神だと名乗り、多くの人が彼に従います(4)。自分を高くするものは、たとえクリスチャンであろうと主は見逃さないでしょう。まして、神と等しくするなら、その者はサタンと同じ性格を帯びているのです。