きょうもし御声を聞くならば

ヘブ4:7「神は再びある日を「きょう」と定めて、長い年月の後に、前に言われたと同じように、ダビデを通して、「きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」と語られたのです」
3節にも「決して彼らをわたしの安息に入らせない」とあり、3章にあるのと同じです(3:11)。また「御声を聞くならば…」も2回目の引用です(3:15)。これら全部が詩篇95編からのもので、パウロ聖霊からかなり強く示されていることがわかります(3:7)。パウロの言う「安息(1)」は、主が休まれる7日目のことで(4)、聖書を通して語られている最後の1000年のことです。黙示録には千年王国がイエス様の再臨の後に作られることが書かれています(黙20:4)。これはずっと後のことで、ある人にとっては地上での寿命が終わっているかもしれません。それでも生きているときに福音を聞くならその時が「きょう」(ギリシャ語でsemeron(セメロン))であり、その僅かなチャンスを見逃さないようにと語られています。この手紙 は特定の教会に書かれたというより、ヘブル人(ユダヤ人)全般に書かれています。しかも、ユダヤ人が覚えているであろう詩篇からの引用では彼らが無視できない内容です。彼らの聖書(旧約)の時代から、御声を聞くチャンスをないがしろにしてはいけないと教えられているのです。