自分も牢にいる

ヘブ13:3「牢につながれている人々を、自分も牢にいる気持ちで思いやり、また、自分も肉体を持っているのですから、苦しめられている人々を思いやりなさい」
パウロはローマ手紙の中で「神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです(ロマ11:32)」と語っており、肉体を「不従順」だとしています。また罪の下に閉じ込められ(ガラ3:22)、律法の監督の舌に閉じ込められ(ガラ3:23)とも書かれており、肉体を持つことは何かの制限を受けていることを示唆しています。そういう意味においては人は常に「牢」に閉じ込められているのと同じです。監獄や刑務所に捕らわれている人を可哀想に思うことも大切ですが、自分も「肉」という神の造られた入れ物に閉じ込められることを知るべきだと言っているのです。自分は自由でなにの制限もなく生活していると勘違いしないで、常に肉の誘惑と不従順にさらされていることを認めるなら、牢につながれている人々に対し思いやりの気持ちをもてるのではない でしょうか?