慈愛と結合

ゼカ11:7「私は羊の商人たちのために、ほふられる羊の群れを飼った。私は二本の杖を取り、一本を「慈愛」と名づけ、他の一本を、「結合」と名づけた。こうして、私は群れを飼った」
「慈愛」はヘブル語で「noam(ノアーム)」英語では「favor(NIV)」で、「結合」はヘブル語「chabal(ハバール)」英語では「union(NIV)」となっています。これらの2本の杖はそれぞれある時期に折られます(10,14)。そして折られることにより慈愛も結合を失ってしまいます。銀30枚というのは奴隷を買うときの値段です(出21:32)。そのためイスカリオテ・ユダに支払われた金額も銀貨30枚でした(マタ26:15)。イスカリオテ・ユダは銀貨30枚でイエス様との兄弟愛、師弟愛から離れていってしまったのです。もう1本の杖「結合」ははっきりとイスラエルとユダとの関係を破るためのものだと書かれています(14)。そして最後には「迷い出たものを尋ねず、散らされたものを捜さず、傷ついたものをいやさず、飢えているものに食べ物を与えない(16)」牧者が遣わされます。隣人愛も兄弟愛もなく、なにもしない牧者は我々人間にとっては厄介な存在ですが、主ははっきりと「この地に起こす(16)」と言われています。終わりの時代のサタンのことか反キリストかはわかりませんが、まもなくそんな牧者が出現するはずです。