「さあ人を造ろう

創1:26「神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように」
このとき神は大英断をします。「人を造ろう」とことばを発した瞬間に神と人との長い歴史がスタートするのです。「人」はヘブル語で「adam(アダーム)」です。それはの創造とは全く次元の違った、自由意思を持つ神以外の存在のことです。肉を持たない天使たちとはまるで別物なのです。そしてよく言われる「われわれ」という複数形の人称がここに登場します。聖書は神は唯一だと教え、ほかの神を拝んではいけません(出20:2-3)。唯一ならば1人だろう…というのが普通の考え方です。しかし聖書では父なる神、子なる神、聖霊とは同格であり、1人とみなすことになっています。人には理解しがたいことですが、三位一体でなければすべてのつじつまが合わないのです。「われわれ」と言われた神は、 「われわれ」に似せて人を造りましたが、肉の思いのゆえに罪が人を支配してしまいます。自分の一人子を罪のためにささげ、自ら命をかけなければ「人」は完成しないのです。「さあ人を造ろう」というのは神の並々ならぬ決心とこれからの苦難の日を覚悟して発した、驚きのことばだと思います。