ご自分の的とされた

ヨブ16:12「私は安らかな身であったが、神は私を打ち砕き、私の首をつかまえて粉々にし、私を立ててご自分の的とされた」
的(まと)は英語で「target」で、ヘブル語では「mattara(マッタラ)」が使われ、弓を射るときの的はこの言葉が使われています(1サム20:20など)。ここでヨブが抱いている神のイメージが判明します。ともすればヨブは神にもてあそばれ、いじめられているとも取れるような発言です。もちろん、ヨブ自身が神を呪うことはありませんが、神がヨブを思い通りにしている事実は目をそらすことのできないものです。相変わらず、ヨブには思い当たる節がありません。それに対し友人3人は何か神の逆鱗に触れることをしたのだろう、とヨブに再考するように呼びかけ ています。ヨブほどの信仰者が「私の祈りはきよい(17)」というなら、それは事実であり、ヨブもそれが心のよりどころでもあるはずです。ダビデが歌ったように「たとえ、死の陰の谷を歩むことがあっても(詩23:4)」と悟れれればよいのですが、たとえそのように決心したとしても、いざ現実が襲ってくると怖いものです。ヨブの立たされた状況は複雑で理解するには難しいものなのです。