私を保証する者

ヨブ17:3「どうか、私を保証する者をあなたのそばに置いてください。ほかにだれか誓ってくれる者がありましょうか」
それはイエス様だ…と言いたくなりますが、ヨブの時代にはまだ救いは完成していません(1ヨハ2:1)。主の前に一人で立つのは不安があるでしょう。これからさばきが始まるときに、申し開きをしても無駄です。神はその人の行いに応じてさばきを下します(黙20:12)。しかもそのさばきはまことでことごとく正しい、とあります(詩19:9)。たとえどんな弁護士であっても、無罪を勝ち取るのは難しいようです。しかし、弁護人がイエス様なら話は別です。その人が地上にいる間にイエス様を信じ、信仰を保ったことを証言くださるでしょう。キリストを信じる信仰そのものが「義」とみなされ、その人は正しい者に数えられるのです(ロマ3:22,ガラ2:16など)。行ないによるのではない信仰によるのだ、とパウロは強調して いますが(エペ2:9)、それは何かをしたというアクションによって誇ることがないためです。そういう意味ではヨブは一度も「あれをした」「これをした」という訴えをしませんでした。ヨブの誇りはヨブの信仰でした。ただ、誇りが行き過ぎるのもいかがなものかと思います。