人は神の前に正しくありえようか

ヨブ25:3「人はどうして神の前に正しくありえようか。女から生まれた者が、どうしてきよくありえようか」
このビルダデの発言のあと、ヨブの長い反論があり(26-31章)、そして3人の友人たちは黙ってしまいます(27:1)。言うなれば友人の最後の助言だったと言えます。ビルダデの最後の主張は「人はどうして神の前に正しくありえようか」といういうものでした。3人の友人は各々ヨブに対して何か過ちや神の目に正しくないことがあったのではないかと訴えています。神と人との間には大きな隔たりがあり、人は「うじ」であり「虫けら」のような存在だとあります(6)。神をどれだけ高くするかは、自分をどれだけ低くするかに比例します。それでも「うじ」のたぐいまで自分を下げるなら、神は果てしなく高いところにおられることになります。この後のヨブの発言で3人はヨブが自分の義を曲げない、正しい者としていることを知ります(27:1)。神の前に正しいことが悪いことではありませんが、ずっと正しくあり続けることは至難の業です。それでもヨブは自分は正しいと訴え続けました。果たして、ヨ ブとエリファズたちのどちらが正しいのでしょうか?