月と水

ヨブ26:9「神は御座の面をおおい、その上に雲を広げ」
「御座」にあたるヘブル語は「kece'(ケセ)」が使われており、もともとの意味は「満月」を表します。日本語でも口語訳は「月」で、新共同訳では「玉座」となっています。また、英語でもキングジェームス「王座」、NIV「満月」、NASB「満月」と訳は2つに分かれています。次の節には「水の面に円を描いて、光とやみとの境とされた(10)」とあり、光とやみとの間に「水」があることがわかります。創世記では[やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた(創1:2) 」とあり、「光があれ(創1:3)」と言われる前に、やみ、大水、神の霊が存在していたことになります。「水」は光とやみを区分けする大事な要素で、聖書には多くの水に関する出来事があります。ノアの洪水(創6-9章)、モーセと葦の海(出14章)は有名ですし、イエス様もサマリやの女に出会ったのも井戸の水からでした(ヨハ4章)。クリスチャンはみなバプテスマを受け、水を通って古い自分を脱ぎ去ります。水は光(神)とやみ(罪)との境界にあるもので、ここを越えなければ神のもとに行けないのです。