アダムのように

ヨブ31:33「あるいは、私がアダムのように、自分のそむきの罪をおおい隠し、自分の咎を胸の中に秘めたことがあろうか」
ヨブがアダムを知っていて、アダムが神に背いたことを知っているのには驚かされます。まだモーセ5書はなく、おそらく創世記も書かれていない時代にどうやって彼らはアダムのことを知ったのでしょう。しかも、ノアの洪水で一度はこの世はリセットされ、それ以前の歴史がどうやって伝えられたのかは興味深いテーマです。また、ヨブは善行を行えば神の祝福を受け、神に背く行為をするなら罰を受けるという概念を持っていました(1-31)。一般にヨブ記は創世記よりも前に書かれたと言われています。ヨブの時代にはまだ律法はありませんでしたが、妻以 外の女性と関係を持つことは神のみ心でないことや(9)、富におぼれることが主の忌み嫌うことを知っていました(24-25)。善行=祝福 となれば誰でも神を信じるようになるでしょう。しかし、おそらく人類の早い時期に、つまりヨブの時代にそうではないことが神によって示されるのです。神は人を試し、成長させるためには苦しいところを通らなければならないのです。アダムのように神と語り合えるようになる罪なき状態はとても険しい道なのです。