動物を見るなら

ヨブ39:16「だちょうは自分の子を自分のものでないかのように荒く扱い、その産みの苦しみがむだになることも気にしない」
だちょうだけではなく、爬虫類などは子供に対する執着がないものもいます。逆に魚の中には卵を一途に守り、子を育てるものもあります。せっかく卵を産んでも、産みっぱなしで放置し(14)、中には踏みつけてしまうものもいます(15)。なんと母性愛のないいいかげんな母親で、もしこれと同じことを人間がしたら大問題です。しかし、だちょうがそうする理由は「神がこれに知恵を忘れさせ、悟りをこれに授けなかったからだ(17)」とあります。それならば納得です。神がそのように設計されたからです。人間はどうでしょう?生まれてくる子供に愛情を注ぐ 知恵もなく、子供がいかに大切な存在かという悟りも与えられなかったのでしょうか?そうではないと思います。主を知り、主を恐れる知恵を(箴1:7)授かっているのは地上にいるすべての人が同じ条件です。自分の子供や家族に愛は注げても、創造主なる神に目を向けないのは人の設計とは違います。動物の行動を見ても、人がどうあるべきかを学べるように主は配慮なされています。被造物によって神の存在ははっきりと示されており、我々には弁明の余地さえないのです(ロマ1:20)。