パン種を入れて作ってはならない

レビ2:11「あなたがたが主にささげる穀物のささげ物はみな、パン種を入れて作ってはならない。パン種や蜜は、少しでも、主への火によるささげ物として焼いて煙にしてはならないからである」
レビ2章には穀物のささげ物のきまりが書かれています。これは最も聖なるものとされ(3)、「主へのなだめのかおりの火によるささげ物(2)」略して「なだめのささげ物」とも言われています。必要なものは油と乳香と小麦粉です(1)。油はもちろん聖霊を示しており、同時に乳香は主の香りを放つ者を指しています(ピリ4:18)。さらにささげ物には「種」を入れてはいけません(4)。パン種は人の欲やこの世の誘惑を指し、もともとは出エジプトのときにあまりにも急いでいたためパン種を入れずにパン菓子を作ったことを起源としています(出12:39)。主から呼び出されたときに「パン種」つまり、世に対する執着が残っていては主のために働くことはできません。それはロトの妻が振り返って塩の柱になってしまったことでもわかります(創19:26)。世の楽しみや快楽を思い出して振り返ることは 、パン種を入れてパンを焼くことと同じ意味です。油(聖霊)が注がれ、乳香(キリストの香り)を放ち、パン種(世の執着)を入れないささげ物は主の前で最も聖なるもので、主の心をなだめる条件を満たしているものです。