和解のいけにえ

レビ3:2「その人はささげ物の頭に手を置く。それは会見の天幕の入口の所でほふられる。そして、祭司であるアロンの子らは祭壇の回りにその血を注ぎかけなさい」
全焼のいけにえはその人を贖うためで、身代わりとなるものです(1:4)。穀物のささげ物はなだめの香りを放ち、主の心をなだめるためのものでした(2:9)。ここでは「和解」がテーマになっており、身代わりを差し出し(1章)、なだめが終わるなら(2章)、主との和解に努めることが次のステップです。手を置き、血を祭壇に振りまくところまでは全焼のささげ物とおなじです(1:4-5)。また煙にしてなだめの香りを放つのも全焼のいけにえと同じです(1:9,3:5)。1つ違うところは「食物」として扱われていることです(11,16)。基本的にささげ物は祭司とその子孫の男子が食べることになっており(6:16-30)、脂肪は主のもので(16)、また血はいのちの宿るもので食べることは禁じられています(創9:4)。「食物」のヘブル語「lechem (レヘム)」は、パンや穀物をあらわす一般的な名詞です。新約では聖餐式でイエス様の血であるぶどう酒と肉であるパンを食べるようにと教えられています(1コリ11:23-24)。血を注ぎ、肉を食べることが主との和解であるなら、新約での聖餐式は主の聖所に入るために和解の役割をしているのではないでしょうか。