罪のささげ物

レビ4:2「イスラエル人に告げて言え。もし人が、主がするなと命じたすべてについてあやまって罪を犯し、その一つでも行なった場合」
4章「罪のためのささげ物」5章「罪過のためのささげ物」と同じ罪でも区別されています。ここに書かれているのは「あやまって」罪を犯した場合になります。「あやまって」のヘブル語は「shegagah(シェガガ)」というもので、「エラー」とか「不注意」による罪という意味です。主の前では意識的であろうが、無意識であるかにかかわらず罪は罪として扱われます。もし、不注意によって意識せずにミスを犯したとしても、さばく対象になるのです。罪の報酬は「死」です(ロマ6:23)。どんな罪でも、もし神がさばかれるなら「死」の判決が下されます。それではほぼ全員が死ぬことになり、生き残れる人はいなくなってしまいます。そこで、神は罪に対して身代わりを差し出すならば、その罪を相殺しもう一度生 きるチャンスが与えられるようにしました。これが神と人が交わるときに生じる基本的なルールです。現代ではイエス様が一度だけ十字架にかかることで、すべての罪の贖いをされました(ヘブ7:27)。旧約では実際に動物の血が必要でしたが、今は信仰によってキリストが罪のために死なれたことを信じれば罪を相殺することになっています。