偶像を造ってはならない

レビ26:1「あなたがたは自分のために偶像を造ってはならない。また自分のために刻んだ像や石の柱を立ててはならない。あなたがたの地に石像を立てて、それを拝んではならない。わたしがあなたがたの神、主だからである」
偶像と安息(2)はどうしても伝えたい守るべきおきてだと言えます。それは人が過ちを犯しがちな要素だけに繰り返し命じられているのだと思います。その内の偶像崇拝に関しては、イスラエルを通じてずっと付きまとう難しい問題です。王の時代になりサウル、ダビデまではなんとか偶像を避けていましたが、ソロモンの時代になり早くも偶像がイスラエルの民を侵食し始めます(1王11:7)。それほど目に見えないということは人にとって判断を狂わせるものなのです。もし、神が目に見えているなら信じるには何の障害もないでしょう。イエス様も天に昇らず(使1:9)、そのまま地上に残り福音を宣べ伝え続けたなら今のクリスチャン人口比率は変わっていたでしょう。それでもイエス様がわずか30 数年という短い時間ではあったものの、目に見える存在となってくださったのは人にとってはそれ自体が福音となり得たはずです。こうまでして人を思いやり、偶像を造りやすい心の葛藤を解決してくださったのは主の人に対する愛だと思います。