主がいてくださる

詩6:8「不法を行なう者ども。みな私から離れて行け。主は私の泣く声を聞かれたのだ」
勇者ダビデでも恐れおののき、弱り果てることがあるのでしょうか(2)?人生が何のつまずきもなく、順風満帆だとしたら、人の悩みや痛みにも鈍感になってしまうでしょう。しかし、ダビデの詩を見るなら、ダビデ自身が多くの悩みや問題を抱え、問題があるたびに主に救いを求めていたことがわかります。痛みを知るものが「痛い」とはどういうものなのかを理解できます。心が傷ついた分だけ人に寛容になれるとしたら、主からの戒めや試練はむしろ喜ぶべきなのかも知れません。ガラスのように壊れやすい心の持ち主であっても、神に拠り頼むことを覚えるなら、人生は変わっていくでしょう。そういう意味では主に悩みを打ち明けることは自然なことだと思います。自殺する人には救いがありません。そ れは愛されていることも知らず、ともにいてくださるお方の存在さえ知らないからです。人は決して一人だけの存在ではなく、創造主がいつもともに歩んでくださることはまさに福音だと思います。目に見えないからといって否定だけを繰り返すなら、否定した時間だけ損をしているのです。