もし私が

詩7:3「私の神、主よ。もし私がこのことをしたのなら、もし私の手に不正があるのなら」
ヘブル語の「もし」という仮定形は「'im(イーム)」が使われ、聖書の中に913回登場しています。これは現在使われている「if」と全く同じ使い方をします。未来形、過去形、現在完了形すべてに対して使われ、ここでは現在完了形の意味で使われています。「もし私がこのことをしたのなら」は英語では「if i have done」となります。神に対して自分が不正を行ったかどうかを委ねるのもちょっと変な感じがしますが、罪の中にも故意にするものと、不注意から罪の状態に陥るものの2種類あると思います。それもダビデは承知していたようで「正しい神は、心と思いを調べられます(9)」と書かれています。罰せられるべきことをそのまま放置して、悔い改めもせずに正しいさばきを要求することは間違っています。常に自分の行いの源が、心の中のどの部分から発せられているかを知ることは大切なことです。ダビデは「もし」という仮定形を使って、自分に対して甘い判断をせずに、ダビデ自身を含めて常に正しいさばきをするように願っているわけです。