そのまぶたは人の子らを調べる

詩11:4「主は、その聖座が宮にあり、主は、その王座が天にある。その目は見通し、そのまぶたは、人の子らを調べる」
「人はうわべを見るが、主は心を見る(1サム16:7)」は有名なことばですが、これはサムエルがエッサイのところに行ったとき、エッサイの長男エリアブを見たときに直感で「主の前で油をそそがれる者だ(1サム16:6)」と思ったときに、主がサムエルに語られたものです。見るからに健康で賢そうなエリアブはサムエルには主が選びそうな男に感じたのでしょう。しかし、主はサムエルにうわべだけを見てはならないと忠告します。それはエバが知識の木の実を見たときに感じたものと同じ感覚だったと思います(創3:6)。人は目に見えるものがすべてだと錯覚しがちですが、見えないものこそ大事なのです。うわべだけを見ない主によって選ばれたのは、ほかでもないダビデ自身です(1サム16:12)。それでもダビデは「血色の良い顔で、目が美しく、姿もりっぱだった(1サム16:12)」と書かれ、エリアブとは違った容姿を持っていました。まだ若いダビデが選ばれたのは容姿だけではなく、ダビデの信仰を見られた主の判断によるものです。ダビデはそのことを充分に理解していたのだと思います。