舌を従える者

詩15:3「その人は、舌をもってそしらず、友人に悪を行なわず、隣人への非難を口にしない」
「舌」についてはヤコブが多くの戒めを聖書に残しています(ヤコ3章)。特に「もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です(ヤコ3:2)」というヤコブの言葉は人生の奥義ともいえる深い悟りだと思います。ダビデもまた同じように「舌」を制御できる者が神に受け入れられることを悟っています。またイエス様も「口から出るもの、これが人を汚します(マタ15:11)」と語り、口から入るもので人が汚れることはないとされました。律法には食べてはならない動物が定められていましたが、イエス様は物理的な汚れよりも、人から出る言葉によって人が傷つくことを問題にされたのです。「舌」はヘブル語で「lashown(ラショーン)」と言い、ギリシャ語では「glossa(グロッサ)」と言います。ダビデが正しいと思う人は寡黙で、しゃべる言葉には悪意がなく、真実のみを語るような人を指しています。もし、語る言葉が真実だけならそれは神と等しい人格を身に着けているのでしょう。歴史上、唯一イエス様だけが口から真実のみを語り、それゆえに神はイエス様を引き上げ右の座につけられたのです。