主は私の羊飼い

詩23:1「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません」
有名なダビデの詩です。口語訳では「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない」、新共同訳では「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」となっています。ヘブル語で最初の部分は「Yehovah ra'ah(エホバ ラッア)」となっており、「ra'ah」は動詞です。「放牧する」とか「草を食べさせる」の意味があります。動詞をそのまま訳すなら「主は(私を)養ってくださる」とも訳せます。たった2つの語の書き始めですが、訳すには想像力とヘブル語に通じていないとちょっと難しいと思います。「乏しいことがない」のヘブル語は「chacer(ハセー)」で「足りない」という動詞です。これに否定語が前頭詞としてつけられ、「足りないことはない」という意味になります。否定詞を除くならたった3つの単語で構成される詩篇23編の最初は、昔から多くの人から愛され、引用され、祈りの時の言葉として用いられてきました。神が罪を罰するイメージの旧約時代に主は世話をしてくださるお方だという感覚は誰に もなかったと思います。小さい時から牧場で主と交わっていたダビデだけが歌えた詩ではないでしょうか。