私は虫けらです

詩22:6「しかし、私は虫けらです。人間ではありません。人のそしり、民のさげすみです」
ダビデがここまで自分を卑下する必要もないと思いますが、自分を見つめれば見つめるほど神が人のために何かをしてくださることは不思議に思ったのだと思います。「人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは(8:4)」とダビデが歌ったように、神を知るということは人の小ささを知るということにつながります。「虫けら」のヘブル語は「towala(トラア)」で、「人間ではありません」の「人間」は「iysh(イーシュ)」が使われ、「人のそしり」の「人」は「adam(アダーム)」が使われています。ダビデが主から受けた恵みを思い返したときに、「こんな自分になぜ」という思いは常にあったのだと思います。神がいなければダビデの人生は成り立たなかったでしょう。もし、一時でも主から離れるならダビデは路頭に迷ってしまいます。それゆえに「御名を私の兄弟たちに語り告げ、会衆の中で、あなたを賛美しましょう(22)」と主を告げ知らせ、賛美することを忘れていませんでした。自分は虫けらでも、虫けらを自分の子として扱ってくださる神に栄光があるのです。