心と霊が砕かれた者

詩34:18「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる」
ちょっとした記憶違いだとは思いますが、ダビデが気がふれたようにふるまったのはガテ王アキシュの前です(1サム21:13)。ここでは「心の打ち砕かれた」と「霊の砕かれた」という2種類の「砕かれた」という表現が使われています。「心が打ち砕かれる」は英語で「brokenhearted(NIV)」が使われ、ヘブル語では「shabar(シャバール)」となっています。また、「霊の砕かれた」の「砕かれた」にはヘブル語「dakka(ダッカア)」が使われ、「罪を悔いる」とか「悔恨を表す」という意味があります。主は心が砕かれた者、すなわち予期せぬことにより、自分の信頼や愛情を失ってしまった者を顧みてくださるという意味です。さらに、霊(ヘブル語「ruwach(ルアーク)」)では、起きた出来事を悔い、残念に思う人に主は近づいてくださいます。いつまでも高慢で自 信に満ちている人には主は近づけません。その高ぶりは主と人との壁となり、自分を捨てない限り主の目がその人に注がれることはないでしょう。弱い時にこそ強くなれる…というみ言葉は事実です(2コリ12:10)。