ただしばらくの間

詩37:12「ただしばらくの間だけで、悪者はいなくなる。あなたが彼の居所を調べても、彼はそこにはいないだろう」
ダビデの詩にはよく「主」「ダビデ自身」「悪者」の3者が引き合いに出てきます。ダビデが訴えるのはもっぱら自分に悪を仕掛けてきた敵や悪者です。逆に言うならダビデの人生で主と頻繁に語らったのは、そういった逆境のときだったとも言えます。人が神に訴えるのはやはり人間関係が一番多いのではないでしょうか?もちろん物理的な必要もありますが、人の心を汚すのは人の口からでるものだとイエス様の言われたように(マタ15:11)、心が傷つくのは往々にして人の放つ言葉なのです。悪者がどんなに地上で権威をふるい、思い通りのことをしたとしても、人の寿命以上にその立場にいることはできません。「ただしばらくの間」という表現は、主の支配する永遠から考えるなら本当にまばたきする間だ と思います。多くの大企業の社長は就任までに多くの時間を費やし、ほとんどの場合5年から10年でそのポジションを次世代に譲ります。長いようで短い人生の中で悪者だけに目を注ぐ人生なのか、創造主なる神に目を注ぐかはそれぞれの判断に任されています。