無割礼のアブラハム

ロマ4:12「また割礼のある者の父となるためです。すなわち、割礼を受けているだけではなく、私たちの父アブラハムが無割礼のときに持った信仰の足跡に従って歩む者の父となるためです」
アブラハムが割礼を受けよ、と命令されたのはアブラハムが99歳のときです(創17:1)。割礼をしなかった99年のあいだ、アブラハムが不信仰だったわけではありません。それがここで言われている「無割礼のときに持った信仰の足跡」のことです。割礼を受けたから信じたのではなく、割礼を受ける前からアブラハムには信仰がありました。割礼を受けなかった99年とそれ以降死ぬまでの約75年(創25:7)では、割礼のなかった時代のほうが長いのです。アブラハムが約束の地に出発したのは彼が75歳のときだったとあります(創12:4)。75歳のアブラハムにはまだ行ったことのない未知の土地を、神のことばゆえに確信をもってその場所が約束された土地だと信じたのです。彼にはまだ割礼が施されていませんでした。律法があるないではなく、割礼を受けた受けないでもなく、神を信じる信仰が義とみなされ、アブラハムはその信仰のゆえにユダヤ人だけでなく、無割礼の人たち、つまり異邦人に対しても信仰の父となり得たのです。