律法を持たない異邦人

ロマ2:14「律法を持たない異邦人が、生まれつきのままで律法の命じる行ないをする場合は、律法を持たなくても、自分自身が自分に対する律法なのです」
太った人の教えるダイエット教室というのはどうも信じられません。言っていることとやっていることにギャップがあれば信頼を築くことは難しものです。そういう意味では「律法」は分かりやすい指針だと言えます。パウロ自身は「律法が、「むさぼってはならない」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう(7:7)」と語っており、ある基準があってそのものから逸脱するかどうかが問題であり、「戒めが来たときに、罪が生き、私は死にました(7:9)」とあるように、律法と罪は表裏の関係にあることがわかります。ここでは律法がなくても、神の定めた倫理が生かされる行いをするなら、その人は大義の中で神に対して正義を行ったと見なされるようです。嘘をつかないとか人を愛する行為は、そうしなさいという律法がなくても真理であり、その行いが神に受け入れられることは信仰があるないに関わらないという意味です。しかし、律法にない人が良い行ないをしたとしても、さばきから逃れられるわけではありません。キリストを信じる信仰だけが唯一神に受け入れられることだからです。